【サメ活記録 ~夢プレゼン~】

先日、Alazi Dream Projectという団体主催イベントである、
「夢プレゼン交流会」に、自称サメ社会学者として参加しました!

Alazi Dream Project代表の夢美さんはアフリカに単身旅をして、
子供にばかにされようが財布を盗まれようが目の前で現地の人が喧嘩しようがへこたれずに現地でイベント開催しちゃうすごい人なのですが、
少人数制のアットホームなプレゼン会で、実績乏しい僕でも参加させていただけました。

プレゼンターの方々は本を出版されたり、自分のビジネスをしたり、若くして人を動かす力を実践で学んだり、超ポジティブマインドで単独でアメリカへの旅を計画したり、エネルギー溢れるすごい方々とご一緒できて光栄でした。

今回は、夢プレゼン交流会でお話しした内容の一部と、印象的だったご質問を一個ピックアップして、補足を加えてお話します。

※自己紹介などは省きます。また、サメ社会学の具体例には、既に就活メディアの記事で書いたことを話しました。こちらも割愛します。

《サメ社会学とは?》
「そもそもサメ社会学って何よ?」って方が絶対いると思ったので(というかこのブログ読んでいる人も読んでいない私の友達もそう思っているかもしれないので)、改めて定義しました。

サメ社会学と僕が勝手に名付けたこの学問というか活動内容は、大きく分けて2つです。

—サメという自分が好きな動物との関わりを通して、

– 社会に対する価値発信を行っていく
– 社会問題を発見し、対策を考える

 

この社会について考え、「こんな社会になったらいいよね」、「今の社会のこと考えるとこんなものがあったらいいよね」、「こんな人が社会にいっぱいいてくれたら住みやすくて心地いいよね」と考えることがあります。「今の社会ってこんな問題があるけど、これヤバいよね」という問題意識も然りです。

そうした問題を考えるときに、自然と抽象的な問題について調べ、議論を重ねることになるのですが、そうした問題はマクロすぎてよく分からなくなります。地に足付けていない抽象論がこんがらがってしまったり、問題の本質が分からなくなったりしてしまうのです。例を挙げるなら、「地球温暖化に向けて我々は何をすべきか」という問題意識が、いつの間にか「排出権取引で高い金を払えば温室効果ガスを輩出してもいい」という訳の分からない話にすり替わっている、といったところでしょうか(※1)。
これは活動を始めてからの後付けですが、こうした複雑で抽象度の高い問題に取り組む際に、自分が地に足付けて考えられ、しかもエネルギーを注ぎ込める事例に一度抽象度を下げることで、問題の本質を発見したり、「要はどうするべきなのか?」という地に足付けた結論がでるのだと思っています。僕にとって最もエネルギーを注げるのがサメなので、「サメ社会学」を行っています。

サメに対する偏見やメディアイメージから、認識論やメディアリテラシーに抽象度を上げ、ブログを書くことによってその考えをまとめ、発信しているのです。
今はブログや一部イベント以外ではほとんど活動できていませんが、今後はもっと活動の場を広げていきたいと考えています。

 

《サメを殺すことについて》
質疑応答の時間の中で、「サメグッズやサメ料理に使われているサメが殺されている件についてどう思いますか?」という内容の質問を頂きました。「可愛い顔して鋭い質問するな」と思いつつ(笑)、サメ社会学における環境論で大事な部分なので、同時に心の中で感謝しました。

以前料理の記事でも少し触れましたが、僕はサメを殺すこと自体には反対ではありません。
ただし、それは殺すことを楽しむこととイコールでも決してありません。

動物愛護や自然保護について考える時、僕たちは「人間が関わることのない、立ち入らない自然」を想定しがちです。あるいは、「法律で禁止されているからしょうがなく」触れないのかもしれません。この考えは、「原生自然」、「自然保護区」などの言葉や概念に代表されます。

しかし、この考えは我々の存在そのものと矛盾する部分があります。
手つかずの自然、原生自然なんていいますが、この世にどれほどそんなものが残っているでしょうか。あの大自然アマゾンでさえ、はるか昔からそこに暮らす人々がおり、歴史・文化があります。「極地のように人間が立ち入ってこなかった場所はどうだ」と言われるかもしれませんが、そもそも自然は動的です。極地に人間がいかずとも、極地に流れる海流、極地を訪れまた旅をする動物たちを通して、我々は自然と関わってきました。「原生自然」などという考えは、所詮は一動物でしかない人間が、自然を超越した神の使徒かなにかと勘違いしてしまっているが故の概念に思えてしまいます。あんぽんたんです。

また、我々の生活・社会は動植物の死を抜きにして語れません。動物の肉を食べ植物を食べ、動物の骨や皮、植物の葉や蔦を使い、木々を切って河川を利用し海を渡る・・・。人間の歴史はそうした過程をたどり、今の豊かさを実現できています。
人の死と同じかもしれません。確かに人の死は悲しいし、時には「悲惨だ」、「早すぎる」というものもあるかもしれませんが、先人たちが死ななければ我々の存在はなかったのです。
動植物の死や自然の変容も人間の死も、重く受け止め、向き合い、時に対処する必要があるかもしれませんが、否定することも超越することもできませんし、する必要がないのです。

サメの話で言えば、サメを絶滅させることには反対だし、危機に瀕しているのであれば理由はそれぞれ守ることも必要でしょう。それは生態系バランスを保つことで人と関わる海の環境を守るため、サメ漁をする人々やサメ料理人の職業・文化を守るため、スキューバダイビングで美しい彼らの姿を見たいがため、ただ単純にサメが好きだから、理由はさまざまです。さまざまですが、サメとの関わりがあることは確かです。守るために殺さない、近づかない、関わらないといってどんどん遠ざけるのは、守る理由そのものの否定であり、その根底には、人間と自然があたかも別物の存在であると考える分断思考があります。

上記は精神論的な話に聞こえますが、サメ好き仲間と話すことで感じる僕の生の感覚です。サメの体で作ったアクセサリーをしている人、サメの解剖をする人、サメ料理を作る人、骨格標本をつくる人、サメグッズを売る人、サメを水族館に卸す人、色んな方々にお会いしましたが、皆様サメを愛していらっしゃいます。自然とこうした文化的リンクをもった人々を増やしていくことが、いわゆる環境問題の解決の鍵だと思っています。

今回はここで終えます。
まだまだ未熟者ですが、今後発信の機会を頂ければ、質はともかく、僕しかできないプレゼンを行う自信はあるので、ぜひお声掛け下されば幸いです。

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※1 地球温暖化が本当に人間のせいなのか、CO2削減などが本当に効果があるのか、などの議論は、とりあえずここでは脇に置く。

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