【サメから考える〇〇 ~正義~】

マイケル・サンデル先生の名著『これからの「正義」の話をしよう』が世に出たのが2010年。6年が経過致しました。先日のトランプ大統領が勝利したアメリカ合衆国大統領選挙を、「正しさを主張するクリントンに対し、快楽を主張するトランプが勝利した」と見る知識人もいます。

そんな中、サメ、まあ、魚全般と言うべきか、生き物に関する正義について議論するちょうどいいトピックが舞い込んできました。

皆さん、もうお分かりですよね。ネットで炎上したスペースワールドの魚が氷漬けにされたスケートリンクのニュースです。

 

【ニュースの概要】
福岡県北九州市のテーマパーク、スペースワールドにおいて行われた、スケートリンクの中に役5000匹に魚を氷漬けにしその上をすべる『氷の水族館』という演出が、「残酷」、「悪趣味」、「可哀そう」などの批判を受けました。

同施設の公式Facebookページでは魚が氷漬けになっている魚の写真と共に「 おっ・おっ・・・溺れる・・・くっ・くっ・苦しい・・・(原文ママ)」 というコメントが公開され、いわゆる炎上騒動になっております。

このような批判に対し、ネットで広報担当からの返答が紹介されています(※1)

それによれば、不適切なコメントや魚の血が氷ににじむなどのアクシデントに対し反省を意を示しながらも、

・魚は全て鮮魚店から「規格外」とされている商品にならないものを使用
・ジンベイザメなど一部の大型魚は写真を使用しており、本物ではない
・演出使用後は供養をしようと考えている

という弁明と捉えられるコメントも見られます。

 

【命の利用法について】
このネットの記事が本当にスペースワールドの広報からの公式コメントかどうかは知らないですし別に興味はないですが、あえてそうした主張が本当に存在するという前提で話を進めましょう。

確かに生き物が大量に氷漬けにされている様子を「残酷」と感じる人がいることが理解できますし、そもそも魚を見せるにしても氷の中の魚がよく見えない上、水族館という割に地面に寝ているように凍っている魚があり、一緒に泳いでいる感もない、センスのない展示です。

そうした好みの議論はさておき、このスペースワールドの展示の何が問題なのか、もう少し深く見ていきましょう。

 

【「食べられない魚」なら好きに使っていいのか】
スペースワールド広報のコメントとして紹介されている弁明として、魚は全て商品にならないものを使用したというものがあります。

ちょっと小ぶりだったり形が変だったりするだけで商品を買わなくなる消費者の民度はさておき、確かに食料として使用できない魚であれば、実験に使おうが娯楽に使おうが問題ないと言えるかもしれません。

こうした問題を考えるとき重要なのは、「魚の苦痛」や「食われるなら魚も本望(=生き物を食わずに粗末にするのは何事だ)」的な議論は、人間が作り出した内部イメージにしか過ぎないということです。

僕たちは世界に住んでいますが、世界そのものは経験できません。世界を知覚し、社会の中の文脈に当てはめることで世界体験をしています。これは、宮台真司先生をはじめとする社会システム論者の考え方です。

映画好きな人にわかりやすく言うと、『マトリックス』のモーフィアスの話が近いかもしれません。「現実をどう定義する?もし君の言う現実が目に見えるとか触れるとか臭いがするということなら、現実は脳からのただの電気信号だ」という内容のセリフがあります。要は、自分たちが近くしているものを「現実」と呼んでいるだけで、実際には誰も「本当の現実(=世界)」を体験できていないのです。僕は以前このブログに書いたメデイア論で、リアル世界を情報という伝わりやすい形にするのはメディアである、と定義づけしました。この文脈でいえば、リアル世界というとらえきれない全てのものの全体を、人間というメディアが受け取れる形に切り取って解釈し、発信していると言えます。

今回のスペースワールドの一件にこの社会システム論的な考えを導入し、僕の意見をまとめます。

まず、「魚が可哀相」、「食べてあげなきゃダメだ」的な議論は、健全ですし普通の感覚ですが、それは絶対的な真理でもないし、本当に魚の気持ちを代弁しているのか分かりません。何故なら僕たちは魚の内部イメージを知覚できないからです。余談ですが、僕はこの意味においてのみ、「人間はほかの動物と異なる(≠人間こそが唯一優れた特質を持つ生命体だ)」と考えています(※2)。

ただし、この議論は、「魚や動物の苦痛も命も内部イメージなんだから好きにしようぜ」という話ではありません。何故なら、内部イメージとは幻想ということではなく、社会が共有しているある種の前提だからです。なので、前提を絶対視するのも良くないですが、現実じゃないと判断してそれに反することばかりすれば、世界には影響ないかもしれませんが社会には影響があります。オウム真理教は仏教における空を歪んだ形で解釈し、生きる人間をカルマを背負った輪廻転生する存在とだけみなし(=現実には存在しない、何故ならすべては空だから)、ポア(≒殺害)してきたと、脳機能学者でオウム信者の脱洗脳を行った苫米地英人氏は指摘しています。

では、娯楽施設、実験動物、研究のための解剖、そしてさらに言えばキャッチ&キル的な行為の線引きは何なのか。

僕が現在考えている線引きは、平たく言えば「社会貢献になるかどうか」です。

僕は科学も宗教も、社会の内部イメージだとする社会システム論的立場をとっています。そしてさらに言えば、科学や宗教は社会が回るためのインフラになるべきだという考えをもっています。なので、たとえ食料以外の方法でも、社会が回ることに貢献するのであれば、殺生も是という立場です。

もちろん、社会が回るための不殺もあり得ます。子供が生き物を意味もなく殺すのを叱るとします。るべきです。その理由は、「残酷だから」ですか?その子供が食べている食材も残酷な方法で殺されていますよ。もちろん、僕が子供を叱るとしたら「可哀相だ」、「命を粗末にするな」、「ダメなものはダメだ」かもしれません、しかし、裏の理由は「残酷だとされていることを平気で行える倫理観そのものがまずいから」です。内部イメージは時に足枷ですが、社会規範となっているのであれば、多少逸脱するとしてもそれを学ぶ必要があります。

話をスペースワールドに戻します。

今回の件で言えば、魚が可哀相云々は個人の感想であり一般概念であるが、それを感じ取ることもできず、また、「おっ・おっ・・・溺れる・・」などというコメントをSNSで発信する関係者の意識に大きな問題があり、はっきり言ってあんぽんたんです。さらに言えば、人々に気味悪がられることで社会貢献できていないため、展示自体はメタ的な視点で分析してもお粗末だったと言わざるを得ません。

今回は一旦ここで終わりにします。

感覚にまつわることで色々書いてしまったので、読んでくださった方には様々なご意見があると思います。そのお声をお待ちしております。

引き続きよろしくお願い致します。

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※1 詳細は下記URLより

http://matomany.com/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%AB5000%E5%8C%B9%E3%81%AE%E9%AD%9A/

※2 この部分について補足すると、「僕たち人間は特別な生き物だ」という主張と、「人間はただのサルの進化形に過ぎない。しょせん動物だ」という主張を念頭に置いている。僕の考え方では、人間は、自分の内部イメージでしか世界を感じることができないので、知覚できない世界体験と知覚できる世界体験を区別するしかない。つまり、人間が特別優れているからではなく、人間が知覚できる世界体験が人間社会の中にほとんど限られているので、結果として人間にとって人間はほかの動物と比べて特別(≒人間は特別な生物だ)ということになる。詳細な議論は後日にまわすとしよう。

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