【サメから考える○○ ~映画~】

僕が自称サメ社会学者という肩書を名乗り始めてからまだ1年も経っていませんが、僕は子供の頃からサメ好きでした。

幼稚園の頃から、いつに録画されたのか分からない金曜ロードショーの『JAWS』を何度も観てきました。

 


(もちろん今はDVDで観ていますが・・・)

「100回はやった」みたいに冗談で言うことがありますが、子供の頃の異常なリピート率に加えて今も年に何回かは観ていることを考えると、本当に100回観ている気がします。

ちなみに、先日は、『ロストバケーション』を観ました。『JAWS』以降、B級ならぬC級のあんぽんたんなサメ映画が数多く作られてきましたが、近年では珍しいまともなモンパニ映画でした(モンスターパニック映画として面白い、という意味です)。

さて、あらゆるサメ図鑑やサメのドキュメンタリー番組の冒頭でよくある出だしとして、「サメは映画『JAWS』に出てくるような凶暴なものだけでなく~」と言うものがあります。サメは実際にはいろんな種類がいて、そのほとんどが大人しいよ、いわゆる「人食いサメ」も無闇に人を襲ったりしないよ、と話を始めるための常套句ですね。

 


(我が図鑑たち。ほぼすべての本で一度は『JAWS』に触れていますね)

どうやら、サメ=人食い、恐ろしいという悪名高いイメージを広めた諸悪の根源として『JAWS』はやり玉にあげられることが多いようです。

今回は、この「JAWS悪玉論」について考えます。

 

【サメの一般的なイメージ】
そもそもサメは本当に悪く思われているのか、という根本から考えていきますが、これについてはいちいちアンケート調査をやるまでもないでしょう。

僕はサメ好きの方々が集まる会以外にも色んな飲み会や交流会に参加してサメの話を振ることがありますが、出てくる言葉がたいてい、「ジョーズじゃん」、「食われちゃう」、「危なくないの?」です。

実のところ、僕が話す方には意外にも『JAWS』を観ていない方も多く、全員が映画に影響されたとは言えません。しかし、彼らが時折テレビで見る異常に偏った演出(ドチザメが危険なサメだってよ笑)や『JAWS』以降に作られたゴミ映画のもとをたどれば、やはりあの名作にいきつくでしょう。『Hunt with the Great White Shark』 というドキュメンタリーでは、「JAWSを観たあとにはお風呂に入るのを嫌がる人さえいた」と答えるインタビューが収録されています。

さて、僕はここで「『JAWS』以前から人々の間にはサメへの恐怖があった」とか、「映画製作者はその後サメの保護を支援する活動にかかわっているから倫理的に許される」とか、そんな話がしたいのではありません。いや、前者についてはサメと人間との関りとしていつか触れるべきですが、また別の機会にしましょう。

僕はあえて、「映画を鑑賞する我々側にも問題があるのでは?」という立場をとります。

【見る側の受け取り方の問題】}
『JAWS』がサメ=殺人モンスターの印象を人々に与えた理由として、映画の演出があまりにも素晴らしかった、ということは否定できません。壊れた桟橋や樽が水面に浮かび、それがゆっくりと動くことによって「サメは見えないが確実にそこにいる、そして迫ってきている」という恐怖を掻き立てる演出、ジョン・ウィリアムズの傑作としか言いようのない音楽、俳優の名演技、サメ要素がなくても僕を映画好きにしたであろう名作です。そんな映画で人を襲うサメが描かれれば、人々の心に強烈に刻まれることは間違いないでしょう。

なので、僕がこれから書くことが全ての原因とは言いません。一つの説として聞いていただきたいです。

結論から言うと、映画を観る側の人間にも問題があるということです。

そもそもサメに対する知識があれば映画の中のサメがSF並みに誇張された存在だということはすぐに分かります。

また、サメの知識なんてなくても、周りにサメに詳しい人がいれば、その人がオピニオンリーダーとなって周りの人の印象を是正できるでしょう。

なに?サメに詳しい人なんて周りにいないよですって?

確かに(笑)

でも、映画を楽しみつつ、「これって本当かな?」と考えることはできますよね。

少なくとも、パニックに陥る必要は全くないわけです。

これはサメ映画の例ですが、僕はメディア全般に言えると思います。

メディアから流れる情報を思考停止で受け止め、ひどいときにはパニックに陥る。

一部の人は、「こんな情報を流すとは何事だ!」と吠える。

これではメディアに踊らされます。主体的な決断ができません。

映画であれテレビであれ、メディアから発信される情報を真に受けて妄信するほど知恵を欠いてしまっている、あるいは、メディア情報が間違っている、短絡的だと指摘してくれる人間関係の欠如(悪い意味の似た者同士での戯れ、またはそれさえできない孤独な状態)こそが、本質的な問題ではないでしょうか。

 

【メディア批判よりメディアリテラシーを!】
「そもそもサメを悪者にする映画が悪いんだ」という意見はごもっともですが、正直それを叫ぶだけでは根本的な問題は解決しません。今回の例は映画ですが、今やインターネットを駆使して誰もがメディアになれる時代です。メディアの倫理を問うことは大事ですが、全てを統制することは現実的ではありません。受け取る側もメディアリテラシーを鍛えて身構える必要があります。

サメ映画よりも一般的な暴力表現、グロ表現を例にとってみましょう。

血まみれの人間をテレビに出さない、ライオンの捕食シーンにモザイクをかける、『名探偵コナン』の死体を黒い効果で見えにくくする、なんて規制も多少やる必要があるのかもしれません。しかし、そんな映像、いくらでもネットで出てきます。偽映像かもしれませんが、男性の死体からカンディルが飛び出してくる映像が普通にyoutubeに投稿されています。ちなみに、ネットにアクセスしなくても、15歳になればTSUTAYAで『ハンニバル』を借りて、レクター博士が生きた人間の脳を切り取って食べるシーンが観れます。

暴力表現を規制するにも限界はあります。ならば、「暴力表現やグロ表現を観ただけで犯罪に走ったりしないだけのメディアリテラシーを養う」方が、応用がきくし合理的です。メディアリテラシー教育の中でそういう表現(グロ表現、さらに言えばエロ表現も)を落ち着いた姿勢で観たり、多少悪影響を受けたとしても見識ある大人から教育を受けたりケアされることで、免疫がつくという側面もあります。

個人的な話をします。

僕は5歳の頃から『JAWS』と『ジュラシック・パーク』を観て、10歳になるまえに『ディープ・ブルー』も観ました。僕が漫画『ひぐらしのなく頃に』を友達と読み始めたのは、同漫画(正確にはゲーム、アニメも含みますが)に影響されたとして同年代の子供が殺人事件を起こした時期と重なります。子供の頃から人が食われたり撃たれたり吹き飛んだりする映画や漫画に触れて、動物が血まみれになる瞬間を何度も観てきました。僕の頭はおかしくなったでしょうか?

「いや、リッキーの頭はおかしいじゃん」って言われればそれで終わりですが(笑)、要は、観る側の構えやその後のケア、実世界の経験でいくらでも受け取り方は変わるのです。社会学の用語を一応使うと、僕は弾丸理論(※1)は誤った考えだという認識です。

ジョセフ・クラッパーをはじめとするメディア研究者が主張に従うならば、メディアの影響によって凶悪犯罪や相手の尊厳を傷つける性暴力が起こったとしても、それはメディアそのものが強力な効果を発揮して行為者の頭を書き換えてしまったというより、もとから家族内暴力、いじめ、性的関係へ踏み出せないもどかしさなど、様々な要因が火薬のようなものを貯めており、メディアがある日着火剤になって大爆発した(=事件を起こした)と捉えるべきです(限定効果理論)。

補足すると、脳科学などの研究で上記の論が多少否定されるとしても、これだけ多くのメディアがによって良し悪し問わず様々な情報が飛び交うご時世なので、限定効果理論的にふるまい、メディアに踊らされない知恵や自分の知恵の及ばない範囲をカバーしてくれる人的ネットワークを持つほうがよいと僕は考えます。

来年からは、そうした知恵を身に着けるための人的ネットワーク構築に向けて動き出す予定です。同じ穴の狢で集まって吠える宗教のまがい物みたいにならないよう、議論を深めていきたいですね。

今回はここまでです。次回もよろしくお願い致します。

——————————————————————–

※1 弾丸理論とは、メディアの情報や印象操作が弾丸のようにダイレクトに人々に影響を与えるという理論。このような単純な理論が本当に提唱されたのかすら疑問視する声があるが、メディア論でたびたび出てくる言葉である。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です