【サメから考える○○ ~水族館と社会システム~】

水族館好きの人なら分かると思うのですが、
年パスって無敵なんですよね。

ちょっと近くまで寄ったからサメに会いに行く。
サメをちょっと見て館内カフェでまったり。
ちょっとサメグッズ買いにフラッと水族館に行く。

水族館の年パスって2~3回でもとがとれるので、かなりお得ですよね。

自称サメ社会学者として何をするのか、新年の挨拶で色々書きましたが、今年は都内水族館の年パスを沢山買って水族館のフィールドワーク(という名の癒し)を去年よりも行おうと思っています。

さて、そんな水族館でふと感じたこと:「水族館と社会設計って通じるものがあるのかも」ということについて今回は書いていきます。

目次:
【システムとしての水族館】
【サメを例とする水族館の不完全さ】
【水族館残酷論者の背後にあるもの】
【水族館と社会システム】
【システムとしての水族館】
まずシステムとは何かという話をざっくりします。

ここで言うシステムとは、ある目的のために効率性や合理性を高められた人為的設計全般のことを指します。

「何のこっちゃ?」という方のために少嚙み砕いてお話します。

要は、ある環境を自然のままにしたり、物事を成り行きに任せると、上手くいくこともあるし、上手くいかないこともある。「こうあって欲しい!」って思うことと違うことが起きたりして不安定だったりする。そこで、「こうあって欲しい!」という目的のもと、自然を作り変えたり、色々管理したりすることがシステム化、それによってできたものがシステムです。

この前提のもとでは、水族館は、「観客を楽しませる」という目的のために(※1)、自然という不確定要素の強い場所から環境の一部を切り取り、機械によって切り取るだけでは足りない部分を補って作られたシステムと言えます。

詳しく説明します。

あなたが「泳いでいる海水魚を見たい!」と思ったとします。しかし、それは意外と容易ではありません。都会に住んでいるならまず海に行かなければなりません。泳いでいる魚を見るなら海に潜る必要があるので、あなたはスキューバダイビングのライセンスを取り、機材を揃える必要があります。海に潜ってもお目当ての魚が簡単に見れるかもわかりません(特にサメはなかなかお目にかかれないことが多いです・・泣)。さらに言えば、海が時化ってしまえば、そもそも潜れません。潜れたとして、見れる時間は1時間もなく、終わればあなたはグッタリです(ダイビングって意外と体力使うんですよ)。

水族館は、これらの問題を魚を管理下に置くことで解決しています。都会のど真ん中に海水、濾過器、照明を持ってきて疑似的な海を作り上げ、魚をその中にいれる。外界から隔離された水槽内では、魚が泳ぎ去ってしまうこともなければ、嵐が来て魚が観られないということもない。来場者は遠出をする手間を省き、魚が観られないというリスクもなく、管理された空間で「海」を楽しむことができるのです。

【サメを例とする水族館の不完全さ】
人間が管理しているシステムは完璧であることはまずありません。まして、地球という巨大なシステムが生み出している流れを小さい空間とは言え、自分たちに都合のいい目的を達成しつつ完全に再現するのは困難です。

僕の大好きなサメを例にとります。水族館でサメを楽しむとき、どうしても気になるのは、サメの鼻先です。狭い水槽で泳ぐサメの多くが、水槽に鼻をぶつけてしまうため鼻先が傷つき、時には曲がってしまいます。

 


(ツマグロの子供たち。よく見ると鼻先が傷ついています)

そもそも、サメという生き物の飼育自体が難しく、せっかく生きたまま輸送できても、餌を食べずに弱って死んでしまうこともよくあります。深海ザメや外洋性のサメは特に飼育が難しいのが現状です。僕がなんとか見ることができて一人で感動しながら写真を撮りまくった葛西臨海水族園のミツクリザメ(2014年11月1日搬入)も、見にいこうとして間に合わなかったホホジロザメ(2016年1月5日搬入)も、ともに短い命でした。

余談ですが、葛西水族園は外洋性のヨシキリザメの飼育において200日以上という異例の記録を持ち、先のミツクリザメにおいても、2週間という長期(ミツクリザメという激レア種にしては、という意味)飼育の実績があります。同水族館のアカシュモクザメ水槽は、円形なわけでも超巨大なわけでもないですが、水流や照明をコントロールすることで非常にいい状態の個体の飼育に成功しています。

 


(葛西臨海水族園に当時展示されたミツクリザメ)


(入ってすぐの水槽で元気に泳ぐアカシュモクザメたち)

 

【水族館残酷論者の背後にあるもの】
水族館の問題に触れると、「そもそも魚たちを狭い水槽に閉じ込めておくなどというのは残酷な仕打ちである」と訴える人が必ず出てきます。僕も、飼育する以上は適切な環境で生き物には生きてほしいと思います。同時に、ダイビングをしていない、または身体的な理由でできない人には申し訳ないですが、自然の海でサメに出会う感動は、水族館でサメに出会う感動と比べ物になりません。

しかし、僕は水族館残酷論者が水族館並びに類似施設を批難するその背景に疑問があります。

全員がそうだとは言いませんが、水族館残酷論者の背景にあるのは、おそらく原生自然に対する幻想です。つまり、人間が手を触れず、足を踏み入れたことがない自然を至上とする自然保護思想です。

以前からこのブログやプレゼンの機会で主張していますが、原生自然というのは人間の幻想に過ぎません。環境ジャーナリストのフレッド・ピアス氏の著書『外来種は本当に悪者か?』(※2)などで主張されているように、人間が「元の自然」などと表現するもののほとんどが人間やその他の動植物によって変化してきた環境であり、「元通りに戻す」なんてことは不可能です。人間は環境に影響を与えることはできても、自在に操ることはできません。一介のお猿さんが調子に乗るもんじゃない。

原生自然幻想と並んで疑問視しているのが、動物たちの望む生き方や感覚を大した議論もせずに忖度し、過激なことを言う人々の感性です。例えば、「水族館は狭くて魚が窮屈だ」と主張しても、なぜその人は魚の気持ちがわかるのか。野生の生き物を美とする傾向は環境保護では盲信されていますが、自然だって危険がいっぱいです。いつ自分が捕食者の獲物になって、むごたらしく引き裂かれるのか分からない。

さらに言えば、過剰な動物愛護論者たちの多くは、「動物を殺すのがだめなら、我々が接種すべきタンパク質はどう摂取するのか?」、「菜食主義者になったとして、それで健康を維持できない者はどうしたらいいのか?また、植物を育てる過程で住処を奪われる動物や、農薬で死滅させられる虫の福祉はどうなるのか?」、「野生の動物が他の生き物を殺すことはよくて、人間が何故それをしてはいけないという倫理の根拠は何か?」などの疑問に、明確に答えていません(少なくとも、僕には納得できる答えが届いていません)。

僕はここで、「だから人間が可哀そうな生き物を全部管理してあげよう」とか「生き物なんて資源なんだから好きなように殺して奪って食ってしまえばいい」という、極端な思考で片づけてしまうつもりは決してありません。そうではなく、人間と生き物のかかわり方の根幹について、あらゆる事例や経験をもとに熟議することが必要だと述べています。

ちなみに、前回のスペースワールド事件の記事で少しだけ述べましたが、僕は人間が他の生き物に対し残酷になり、資源として利用すること自体は問題ないが、それに向き合って消化していく構えを養う努力が必要である、と思います。さあ、あなたはどうでしょうか?

 

【水族館と社会システム】
ついつい止まらなくなって環境保護思想に話がすっ飛んでいきました(笑)。

水族館と社会が似ているのかな、という素朴な疑問が今回の記事の発端です。

海の生き物は、たとえ高度に管理された水槽の中だとしても、自然から切り離されたら色々な問題を抱えます。より高度なシステムを導入しても、完全に解決するものではないでしょう。

一方で、水族館の魚は、環境が嵐などで激変せず、定期的に餌が供給され、捕食者もいない環境で暮らすことができています(たまにサメが食っちゃうときあるけど笑)。

これって、人間社会にも言えるのかな?って感じました。

僕たちの社会(ここでは哲学的な社会ではなく、自然とある程度隔離された人間の住処)は経済、医療技術、衛生管理、交通整備など、あらゆるシステムで管理されています。僕たちは大地震などの一部を除くあらゆる環境変化に簡単に耐えることができ、飢えにさらされる可能性も低く、猛獣に襲われる心配もありません。

しかし、何か問題を抱えます。ストレス?安全ゆえの運動不足?飽食ゆえの病気?なんだかよくわからないけど社会で感じる閉塞感?とにかくシステム化ゆえの課題に直面しています。

システムで安全性、利便性、合理性を確保できたとしても、システムそれだけでは社会(水族館)の成員(魚たち)を維持できません。自然に放り出されるよりベターな面もあるけれども、それだけではダメなのです。お客から多少見えにくくても、大きな水槽に少ない数の魚をいれてあげれば、泳ぐ姿がきれいだったりして評判を呼ぶかもしれないし、病気になる魚が減って維持費が減るかもしれない。素人考えですが、そんなことを時々考えます。

効率化や合理化だけでなく、自然を真似することで一見非合理的に見える合理性の追求をしたり、いっそ自然をどんどんシステム内に取り入れていったりすることで、水族館も社会も良くなっていくのかもしれません。

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※1 水族館は生き物の研究という目的も追っているが、ここでは説明を分かりやすくするために省いた。また、現在文献などを調べている段階ではあるが、日本の水族館は他国に比べて娯楽色が強いという意見も聞く。

※2 2016年、草思社より出版。原題は”The New Wild; Why Invasive Species will be Nature’s Salvation”

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