【サメから考える○○ ~水族館と社会システム2~】

前回、水族館の記事を書いたのでご好評を頂いた(と思う)ので、水族館からもう少しこの社会について考えていきます。
目次:
【葛西臨海水族園】
【娯楽施設としての水族館】
【需要側の責任】
先日、前回の記事でも触れた葛西臨海水族園で行われた深海生物イベントに行ってきました。
深海で色はどんな風に見えるのか、とてつもない水圧のかかる深海で何故深海魚はぺしゃんこにならないのかというトピックを子供にも分かりやすく伝えているコーナーと並び、珍しい深海生物の展示が行われていました。


(カラスザメの標本とミルクガニのどアップ)

まあ、一番高まったのはこっちですよ。

ミツクリザメとエドアブラザメ!!
以前葛西で展示され僕が会ったミツクリさんとは違う個体のようですが、飛び出すあごの部分と歯を触れたのは貴重な体験でした(歯は「危険です」ってちょっと止められたけど笑)。
さらに、エドアブラザメも実は結構お気に入り(^^)
カグラザメ目のサメはちょっと間抜けそうな顔なのに歯が鋭いところがサメ好きとして萌えポイントですね。
サメに詳しくない人のために補足すると、サメの種類は現在9目(カスザメ目、ノコギリザメ目、キクザメ目、ツノザメ目、カグラザメ目、ネコザメ目、テンジクザメ目、ネズミザメ目、メジロザメ目)に分かれ形や背びれの数、目の位置などによって分類されます。エドアブラザメは体形がサメ型で背びれが一つだけで、鰓(えら)穴が6~7対あるカグラザメ目に属します。


(他にもこんな標本たちが!)

葛西臨海水族園は、こうした良質な教育的イベントを定期的に実施しているようです。去年12月にも、一般向けの板鰓類研究会のフォーラムが行われ、僕も出席しました。詳しくは調べていませんが、都営の水族館なので、教育機関としてのつとめを果たそうとしているのかもしれません。ちなみに、これもおそらく都営だからだと思いますが、入園料も安いです。
【娯楽施設としての水族館】
「真の環境教育とは何か」という深すぎる議論や、「魚たちを狭い水槽に閉じ込めておいて何が教育だ!」という水族館残酷論者の主張はいったん脇に置いて考えますが、葛西臨海水族園は生物の学名や生息区域も丁寧に掲示していることからも、教育要素の強い水族館だと言えます。
対照的に、多くの水族館は娯楽施設であるように感じます。教育的意義よりも見栄えや派手さ重視。マニアよりも子連れやカップル向き。学名はおろか、生き物に関する掲示情報が足りていない場所もあるようです。
僕は娯楽的要素が水族館にあることを批難するつもりはありませんが、イルカショーが反捕鯨団体の水族館批判の根拠の一つになるなど、娯楽的要素を疑問視する声もあります(まあ、捕鯨反対の方々はAKB批判と同じで、批判するための材料を無理やり集めている感が満載ですが笑)。
【需要側の責任】
水族館の「べき論」はここでは詳しく議論しませんが、一般的な水族館の娯楽要素から見えてくる社会システムについて考えます。
水族館が娯楽施設として構える理由は何なのか?
単純明快、その方が来場者が多いからでしょう。その方が人気が出るからです。もっと言えば、その方が儲かるからでしょう。
注意していただきたいのが、僕はここで水族館を金儲けだけ考える資本主義の豚さん的な位置に置いて批判したいわけではありません。営利団体なのですから、水族館が資本を回す必要があることは当然です。利益を求めることを批判してはいけません。
僕はむしろ、需要側の責任について考えていきたいと思います。
日本の水族館の問題点で先日の記事ではサメが入っている水槽の狭さをあげました。サメに限らず、日本の水族館は一つの水槽に魚を詰め込みすぎている感があります。まだこの件について水族館職員の方々にインタビューしていないので確証はないですが、おそらく、混雑の中でもお客が近くで魚を見れるよう、配慮しているのではないかと思われます。
実際には水槽のキャパシティや費用面を考えたうえでの施策かもしれませんが、ここでは上記の仮設のまま話を進めます(なので絶対視はしないでください)。
「狭い水槽に入れるのではなく、もっとのびのびと泳ぐ健康なサメを見たい」という需要が、「なんでもいいから手っ取り早くサメとか魚とかが観たい」という需要を上回れば、水族館側の対応も変わらざるを負えないでしょう。やがて、種類数や個体数が少なくても、個体の健康に配慮し環境エンリッチメントを実践している水族館が繁栄していきます。
そう、何を需要するかが、何が供給されるかに影響を与えるのです。そして水族館に関して言えば、何が供給されるのかが、サメや他の生き物たちの生活水準に影響します。
資本主義経済がグローバル化と相まって自由に発展するこの世界を、恐らく僕たちは簡単には止められません。某カツラっぽい髪形の大統領をはじめとする人々が「グローバル化の影響に直撃される国民を守れ」的な主張を行っていますが、グローバル化の進行をストップすることは無理というのが僕の立場です。なぜならグローバル化は顕在化したり加速されたりしてきただけで、当の昔からずっと起こっており、僕たちの世界を形作ってきたからです。
政治理論については詳しい方から批判が来そうなので、得意分野の外来種問題に話をシフトします(こういうのを「逃げ恥」って言うのかな笑)。「外来種を入れるな!」、「在来種を守れ!」という運動が環境保護活動で盲信されていますが、すでに人間がその地に立つ前から、海流や風、渡り鳥など、さまざまな要因で多くの植物や小さな生き物が世界を駆け巡ってきました。駆除が不可能なまでに環境に適用した者や、さかのぼって考えると在来だか外来だからわからないものなど、様々です。生物の行き来が人間の交通量の増加で増えたことは間違いないですが、ある生き物が別の場所からきてその場所に根付くことはもとから起きていた現象だし、軽減することはできても、止めることは不可能なのです。この件については以前の記事でも紹介した『外来種は本当に悪者か?』という本で指摘されていますが、実はかの有名なダーウィンの『種の起源』の主張もそのように解釈できます。


(『種の起源』上下巻、『外来種は本当に悪者か?』)

話を戻すと、そうして資本主義経済が発展した場合、ある需要が一定数あれば、それを満たそうとする供給がどこからともなく流れ込んできます。そして、資本主義経済においては資本を回し発展させることが正義とされるので、それ以外の価値観は二の次、または資本主義経済の正義と矛盾しないかどうかだけ判断されます。
何が言いたいかというと、需要する側の僕たちが「まとも」な商品を求めないと、供給側は「まともかどうかに関係なく需要のあるもの」を作り出すので、まずいことが起きるんじゃないのということです。
いわゆる「わかっちゃいるけどやめられない」ではダメなわけです。ファストフードが「健康に悪い」と非難されているのに何故なくならないのか。健康よりも時間を大切にしてしまう人々がいるからでしょう。
もっと大きな例を出します。「安い」、「安定して手に入る」という理由だけで地域農家を無視して巨大産業資本が作る遺伝子組み換え食材に過剰依存すると、価格が大幅に引き上げられたり、その産業が潰れたり、商品に重大な欠陥が見つかった時に大問題になります。バイエルのモンサント買収(※1)がそうした悪夢の前兆と危惧する専門家もいます。
だいぶ話を大きくしたところで水族館に話を戻します。
水族館そのものが存在してもいいのか、存在するとしてどうあるべきか、絶対解はありません。しかし、確かなことは、僕たちの需要次第で供給側の在り方が決まるということです。
僕は水族館には今のところ肯定派ですが、派手な水族館よりも、サメたちのことを大切にして元気な姿を見せてくれる水族館をなるべく応援したいと思っています。
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※1 ドイツの農薬会社大手バイエルが、種子の遺伝子組み換えに強みをもつアメリカの企業モンサントを2016年9月に買収した。遺伝子組み換え作物による健康への影響を懸念する声もあるが、バイエルが農薬耐性をもつ種(ラウンドアップレディ)をライセンス化するビジネスを展開することで、従来の農業のあり方を壊してしまうのではないか、と危惧される。長くなってしまうので詳細は別の機会に譲る。

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