【フィニングについての備忘録】 

久しぶりに本格的な「サメ社会学」っぽいことを書きます。

ですが、まとまった結論が出るわけではありません。頭の中でグルグルしている思考を書き出して、問題設定を少しでも明確にするための投稿です。なので、発信というより備忘録です。ご意見は歓迎しますし事実の間違いがあれば訂正しますが、価値観や方向性について、「こうに決まっているだろ!」みたいのを今言われても「まだまとまっていないので」としか回答できず困るので、スルーします(笑)。

 

フィニングと呼ばれる行為について考えてみます。サメ好きではない方のために解説を挟むと、漁でとれたサメのヒレだけを切り取って、サメの体を海に捨ててしまう行為を英語でフィニング(finning)と言います。サメの個体数減少の要因とされ、ヒレを切られて泳ぐことのできなくなったサメたちが窒息して死を待つしかないその光景が残酷だとして、サメの研究者や環境活動家から敵視されています。

こうした問題について考える場合、「どうしたらフィニングを撲滅できるか」という問題から考えがちですが、少し距離をとって「フィニングは何故いけないことなのか?本当に良くないことなのか」を考えてみるのも大事だと僕は思っています。さらに言えば、僕は自称とはいえ社会学者を名乗る者としてもう少し距離を置いて、「何故人々はフィニングに反対するのか、何故今もフィニングは行われているのか」という問題についても考察しなければなりません。そのうえで個人的にフィニングに反対するかどうかは別の問題です。

フィニングを敵視する人々の根拠を下記にざっくり挙げてみましょう。

・ヒレだけを切ってサメを棄て生きたまま溺れさせるのは残酷だ。

・サメを捕獲してヒレだけ捨てるのは資源の無駄遣いだ。


・サメは生態系において重要な存在なので殺すべきではない。

他にもあるかもしれませんが、これくらいでまとめます。さて、一つ一つ見ていきましょう。

 

【ヒレだけを切ってサメを棄て生きたまま溺れさせるのは残酷だ】
サメのヒレだけを切って殺すのは何故残酷なのでしょうか。恐らくこの主張をする人は、サメが漁船から棄てられた後に息をすることができず、ただ血を流して死んでいく姿を嘆いているのだと思います。確かに見ていて痛ましいものがあるのは否定できません。

ちなみに、全てのサメが「泳ぎ続けなければ死んでしまう」という訳ではないですが、サメはヒレがなければ泳ぐことはできないので、いずれにしろ死を待つしかないでしょう。

では仮に、フィニングをする漁船がサメを船に揚げた時点で特殊な槍かこん棒か何かで瞬殺し、痛みを感じない状態でヒレを切り取って海に捨てたら、どうでしょうか。結果としてサメは殺されていますが、痛みはあまり感じていません。痛みがなければ残酷ではないのでしょうか。

以前もこのブログで取り上げた『魚は痛みを感じるか』(原題:Do Fish Feel Pain?)では、「魚の福祉」として、延縄が頻繁にチェックされることで針にかかったまま魚が苦しむ時間が短くという論点や、「キャッチアンドリリース」よりも「クリーンキル」を是とする倫理観が紹介されています。今回は「ヒレを切って残りを棄てる」という行為が付随するので少し話が違いますが、同じ行為でも、サメが生きているのと死んでいるのでは話が違うのでしょうか。

動物の話のあとに人間の話を持ってくるのは思考の幅の狭い水族館残酷論者みたいで気分はよくないですが、思考実験として考えてみましょう。ある酷い罪を犯した死刑囚がいます。僕が彼を銃殺刑にする代わりに、彼の手足を生きたまま切断して達磨にし、死ぬまで放置する行為は「残酷」でしょうか。残酷という人が多いはずです。では、これが10歳の無垢な少年ならどうでしょう。生きたまま達磨にするのは残酷で、頭を撃ち抜くことはそうではないと言えるでしょうか。どちらも残酷だからダメになるとしたら、サメや死刑囚でそう考えないのは何故でしょうか。

僕たちにとって「残酷」とは何でしょうか・・・・?

 

【サメを捕獲してヒレだけ捨てるのは資源の無駄遣いだ】
ヒレだけ持ち帰り他を棄てるのは資源の無駄遣いだと言う批判があります。なるほど、確かにそうですね。サメの肉はまずいという偏見が未だにあるみたいですが、新鮮でなければ臭い、味付けしないと美味しくない、というのはどの食材も一緒です。淡白で食感が独特のサメは料理すれば結構美味しくなります。

 

僕が作ったモウカザメの煮付けです。結構美味しく仕上がりました。

さて、ここで先ほどと似た問題点が浮上します。「無駄にせずに全て使えばOKなのか」ですね。ヒレはフカヒレ、肉は人間の食用やドッグフード、骨や顎は標本やアクセサリーにする。そうすればサメを漁獲してもいい理由になるのか。

「勿体ない」の精神ですべてを利用するのは資源の有効活用だけでなくある種の「供養」だとする考えた方もあります。しかし、当然ながらサメからしたら人間の魂に対する文化的捉え方など知ったこっちゃないわけです。本当にサメの福祉とやらを考えるのであればサメが何を望んでいるのかを考える必要がありますが、そうすると生物学を通り越して哲学まで話が飛んで行ってしまいます。だって、他人が何を考えているのかはもちろん、他人が感じている世界が自分と同じかどうかも完璧には分からないのに、動物が何を考えているのかなんて分かるわけがありませんから。

資源としての捉え方にはもう一つの論点があります。ヒレだけ切ってサメの体を棄てたとしましょう。確かに人間はヒレしか利用していません。サメの死体は海の底に沈んでいきます。

果たしてそれは「無駄」なのでしょうか?

サメの体は人間が利用しなければ異次元に消えてしまう訳ではありません。海底に放置されたサメの死体は、いわゆる分解者と呼ばれる生き物たちが長い時間をかけて資源として活用してくれるはずです。もちろん、おびただしいサメの死体が並ぶ状態がどういう結果を生態系に招くのかは分かりません。しかし、それはいったん脇に置きます。ここでのポイントは、「サメのヒレだけを切るのは資源の無駄だ」というのは、自然界の資源Xを得る際に、Xのうち人間社会で経済価値に変換できないものYがあるとして、Yが大きいからダメという話でしかないということです。

もう一つややこしい話をしましょう。今年の5月10日にNewsweekで報じられた記事(※1)によると、南アフリカのシャチがホホジロザメを殺して肝臓だけ食べたそうです。さて、ここで問題です。シャチは「資源を無駄にしている」ことになるのでしょうか。よく「クジラは知能が高いから殺すのはやめろー!」という頭の悪い反捕鯨論がありますが、クジラもその知能の高さゆえに生態系に配慮したり「勿体ない」の精神を学ぶべきでしょうか。そうでないとしたら、人間がそれを学ぶ意味は何でしょうか。

 

【サメは生態系において重要な存在なので殺すべきではない】
生態系ピラミッドというのは多くの方がご存知でしょう。植物が有機物を作って、草食性の小さい動物たちがそれを食べ、それより少し大きな肉食性の動物が彼らを食べ、さらに大きい肉食性の動物がいて・・・。最終的に彼らの死体や排泄物は土にかえっていき植物に還元される、みたいな流れです。厳密にはこんな単純なものじゃないですが、まあ話を進めましょう。

ピラミッドの上の方にいる高次捕食者は、ピラミッドというくらいですから彼らの餌となる動物たちより数が少ないです。少し考えれば当たり前ですよね。自分の餌よりも自分たちが増えてしまったら食糧がなくなって激しい争いになったり餓死したりします。

サメも高次捕食者なのでこの原則は当てはまります。サメの生殖はいわゆる少数精鋭です。マンボウみたいにすぐ死にそうな(失敬)子供を大量に生むのではなく、生き残りやすい親と同じ形の子供を少ない数産む種が多いです。生まれたときから体の大きいハンターですから各子供の生き残る確率は高いですが、成熟までの期間が長いこともあり個体数の増加に時間がかかるため、乱獲や海洋汚染で一度数が激減するとなかなか回復しません。

高次捕食者を絶滅させると、生態系に悪影響が出ると言われています。現に一部地域ではホタテやアサリを食べるエイの仲間が大量発生して漁業に深刻な打撃を与えており、そのエイの増加理由の一つにサメを駆除してしまったことがあると指摘する専門家もいます。極端な言い方ですが、地球上のサメを皆殺しにした場合、間違いなく海の生態系は激変するでしょう。

ですが、サメの絶滅によって何が連鎖的に絶滅して何が大量発生するのか、完全に予測の域を超えます。「変わる」としか言えません。環境団体にしろフカヒレ業者にしろ、「こうなる」とか「こうはならない」と断言している奴がいれば、そいつは麻原彰晃並みの大ウソつきです。もしかしたら、サメを駆除することで漁業が超儲かる産業になる可能性もあるかもしれません。

社会学には順機能(プラス)、逆機能(マイナス)という考え方があり、それぞれ顕在的(自覚されている)か潜在的(自覚されていない)かで別れます。例えば、海外旅行者にとっての円高は顕在的順機能(行為の当事者が気づいているプラスの機能)で、やや仮想的な話ですが、『らんま1/2』が世の中の男のヘタレ化を助長するきっかけになった(※2)というのは潜在的逆機能(行為の当事者が気づいていないマイナスの機能)となります。

フィニングでサメの個体数が減少しているというのがまぎれもない事実だと仮定しましょう(恐らく本当に減っていると思われますが、データ不足で確証がない事例が多いです)。それによって数々の顕在的逆機能が僕たちを襲っているようには思えません。しかし、潜在的逆機能が進行中で、いつかそれが長く潜伏したウイルスのように僕たちの社会をとんでもない事態に陥れるかもしれません。ですが、潜在的な故、サメと直接かかわる当事者や一部のエリート以外は、それに気付けないのです。

逆に、サメを絶滅させても、「結果なんとかなったじゃん」となる可能性も十分に考えられます。なにをもって「なんとかなる」なのかは議論が分かれますが、事実僕たちはニホンオオカミやフクロオオカミ、ジャワトラなど、多くの捕食者たちを絶滅させてきましたが、僕たちの社会は回っています。それ以前に、この地球では人間にとって良い悪い関係なく絶滅が起こり、自然はどんどん変動していっているのです。サメ好きとしてあるまじき発言かもしれませんが、ホホジロザメを人間が絶滅させたところで、大した変化なくこの世界は回るのだから、それでも気にしない、という見方もあり得るでしょう。

僕は彼らにこの地球にいて欲しいと思い、絶滅して欲しくないという想いをもっています。しかし、それはもはや生態系への配慮を超えた個人的な愛情でしかないのです。

 

【結論は出ないまま進むしかない】
最初に言った通り、明確な提言も理論もなく勝手に終わらせていただきます。意味深に見えた部分もあるかもしれませんが、僕は「フィニングを今すぐやめろ!」とか「サメを殺すのは絶対反対!」と主張したわけでも「サメを殺すのは全然OKだから文句言うな」と論じたのでもありません。少なくてもそうした意図はありません。

これからこうした問題について考えて、感じたことを発信し、いつかまとまったものが本なりエッセイなり論文なり形になって、誰かに読まれてその人がサメに限らず自然について色々考えてやれることやろうと思って実行してくれればいいと思っています。

お付き合いいただきありがとうございました。
ではではまた次回、宜しくお願い致します。

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※1 記事の原文は下記の通り。
http://www.newsweek.com/orcas-killing-great-white-sharks-eating-livers-607002

※2 AV監督二村ヒトシ氏が『すべてはモテるためにある』という本で実際にこのような趣旨のことを指摘した。二村氏によれば、『らんま1/2』や似たストーリーの作品を歪曲して解釈した男たちが「いつか俺のもとにも可愛い女の子が降ってきてダサい自分に光を当ててくれる」的な実にキモチ悪いことを考えてしまっているとのこと。

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