ホホジロザメの顎でもプレゼントできないサンタは靴下に万札ぶち込んで帰れ(笑)!クリスマスプレゼントから考える経済学と大切な何か

この記事を書き始めたのはクリスマス前でした。クリスマス前になると、多くの親が自分の子供にサンタの存在を信じ込ませようと奮闘します。そう、赤い服という目立つ格好で、トナカイというどう考えても飛行に適した体つきをしていない動物にソリを引かせ、あらゆる家庭に家宅侵入して靴下という臭いがつきそうな場所にプレゼントを放置していく伝説の魔人です。

僕は子供の頃からサンタクロースは伝説上の存在だと認識していました。それは両親がまどろっこしいコスプレ芝居をせず直接プレゼントを渡してくれていたからかもしれないし、緑色のちっこいモンスターがサンタコスのおっさんを襲撃する映画(=『グレムリン』)を何度も観ていたかもしれません。

ちなみに僕は、小学生の頃に同級生の前でサンタが実在しないと言って物議を醸し、担任に呼び出されたことがあります。意地悪でも何でもなく、僕はこの年(小学3~4年生)になってサンタが実在すると信じている人間がいるというのが完全に想定外だったし、そもそも正しいことを言っている僕が何故諭されねばならないのか、全く不服な思いでした。我ながら可愛くない、しかし粋なクソガキでしたね。

今の僕が当時の僕を諭すなら「君の言っていることはまず間違いなく正しいが、存在否定は悪魔の証明と呼ばれ、不可能とされている。それも肝に銘じておきなさい」という旨の話をするでしょう。

 

さて、前置きが長くなりました。今回はこのサンタをきっかけに、ちょっと経済学っぽいことをお話しします。「自称サメ社会学者、無謀にも経済を語る」と言ったところですかね。

 

目次:
【合理的なプレゼントは現金】
【合理性が嫌なら、プレゼントのメリットは何か】
【サンタ信仰へケチをつけてみる】
【経済学の中にある大切な何か】

 

【合理的なプレゼントは現金】
クリスマスプレゼントに限らず、最も合理的なプレゼントは現金です。

流動性選好という言葉をご存知でしょうか。かの有名なジョン・メイナード・ケインズ(正確にはケインズの言葉を分かりやすく紹介していた池上彰氏)によれば、流動性選好とは簡単に言うと、「みんなお金が好き」ということです。

もう少し丁寧に説明するとこういうことです。土地や美術品は市場で決まった金額と同じ価値を持っています。だから僕たちは、例えば1000万円払えばとある土地を買えたりします。現代人にはお金が最強の万能アイテムだと思っている人が多く、中にはお金を払って「お客様」になれば神様になれると思い込んでいるアンポンタンもいますが、お金を払うというのは単なる交換でしかないんですね。

とは言え、お金は具体的な商品よりも他のものと交換しやすいという意味で「流動性」があります。そのため、みんな自分の資産をお金の形で持っておきたがるんですね。簡単に言えばこれが流動性選好です。

この説明を聞けば、お金が最も合理的なプレゼントだと納得がしやすいのではないでしょうか。相手の好みや本当に欲しいものをこちらで考えるより、とりあえずお金という本人が最も欲しいものを手に入れるのに便利であろう形でプレゼントしておき、本当に欲しいものを本人に買ってもらう方が、本人が一番望むものが手に入りやすい。プレゼントをこちらで選ぶ場合、買ったプレゼントが相手にとって望ましくないものになる(例えば好みに合わないとか、すでに持っているとか)という可能性がプレゼントには常につきまといます。これを考えた時、札束を渡す方が正直合理的です。実際にこうした考え方が経済学の中にあるのはマイケル・サンデル氏の『それをお金で買いますか 市場主義の限界』などの本でも紹介されています。

 

【合理性が嫌なら、プレゼントのメリットは何か】
ここまで聞いて、「Rickyはなんて薄情な奴だ」とか思わないでくださいね(笑)。多くの人が感じるように、現金のプレゼントというものにはいくら合理的でも違和感があります。では、それは何故か。僕の仮説ですが、プレゼントという営みには感情の交換という目的があり、その目的達成のためには、現金は不適切、ゆえに現金は合理的に見えて実は非合理的であるということではないでしょうか。

自称とは言え学者はどうして小難しい言い方をするのか、と思われた方のために分かりやすく言うと、「プレゼントは相手のことを考えて選んだり渡し手のそうした気持ちを汲み取って嬉しいと思うということが大事であり、プレゼントの対象者が最適な品物を得るための営みではない」ということです。

僕はプレゼント選び、特に女性への贈り物は結構悩みます。
「料理を勉強しているから調理器具とか?でも色気ないし、すでにもってるかもしれない」
「いい香りのする石鹸なんてどうだろう。あ、でも香りの好みは大丈夫かな」
などなどいろいろ考えてお店で1時間、2時間と時間が過ぎていく。そして次の店に向かったりギブアップして友人に相談したりする・・・。我ながら気恥ずかしい思い出です(笑)。

逆にもらう立場になった時、僕は人からもらったサメグッズにケチはつけません。自分で選ぶときは気にします。鰓の数が足りない・・・。背鰭の数が足りない・・・。なんでこんな原色なんだ!などなど。店員から見たら面倒なことこの上ないでしょう。

しかし、他人からもらったものにはグダグダ言いません。マナーとして言わないというより、本当に気にならないんです。自分の好きなものを考慮してどんなものがいいか手間をかけて選んでくれた。それだけで満足です。もちろん、意図的に変なもん渡されても困りますが・・・。

こうした実体験を考えた時、プレゼントは相手が本当に必要としているものを渡せたかどうかより、感情の交換がきちんとできているかが問題になります。感情のやり取りが大事ということは、プレゼントの物自体よりも、相手との関係性や渡す相手への思いが大事になってくるわけです。そこで必要なのはリサーチ能力ではなく脳みそに汗をかくことです。

 

【サンタ信仰へケチをつけてみる】
プレゼントの本質が感情の交換なら、僕は一年のうち一日しか仕事をしない想像上のジジイに感謝するより、プレゼントを渡してくれる人に感謝した方がいいのではないかと、ふと思います。感情の交換としてのプレゼントと対比させれば、サンタのプレゼントは他所から降ってくるものです。仲間からのコミットメントというより神の恵みに近いです。

ここで珍妙な記事の題名につながります。想像上の魔人とは感情の交換もへったくれもないのだから、自分がピンポイントで欲しいものを必ず用意するか、できなければ経済学的に合理的な現金でも置いていってほしいと僕としては思うのです。僕はサンタクロースにサメグッズを選ばせるつもりはありません。シロワニの顎が欲しいといってアオザメを持って来れられても困ります(アオザメはすでに持っているので。あ、でも頭骨ならいいかな)。

むろん、実際にプレゼントを用意しているのは親や親戚なのだから、それを明かして感情の交換をすればいい。子育て経験のない人間の戯言かもしれませんけどね。

 

【経済学の中にある大切な何か】
さて、僕はこの記事でサンタ不要論を唱えるつもりはありません。ぶっちゃけいらないと思いますが、個人的なことなので押し付けません。

「サンタを否定して親から直接プレゼントを渡す方が子供が親に感謝するのでは」と一瞬思い付きましたが、僕自身がそこまで親孝行な存在でもないですし、あとから真実を知って「僕私を喜ばすために頑張ってくれていたんだな」と大人になって親に感謝するとか「サンタに来て欲しいからいい子にする」というしつけ効果もあるかもしれません。

 

僕がそれよりも興味があるのは、経済学の中にある“大切な何か”の存在です。

お金だけでは思いやりがないとか、世の中には人情があるとか、そんな話がしたいのではありません。一見不合理に見える営みには目的があり、その目的をかなえる手段として、その非合理な手段が経済的に見て合理的な手段よりも適切ということがあり得るのではないでしょうか、ということです。

つまり、合理性のために不合理を選択するということです。

魚をさばくのは面倒です。海に行って潜るより水族館に行く方が楽です。そうした利便性が決して悪いわけではありません。しかし、不合理に見える行動をすることでしか見えない境地があり、それを軽んじることはできないのではないでしょうか。

このHPでも何度か書いてきた通り、実際に自分が釣った魚をさばく(あるいは目の前でさばくのを見る)経験は、自分が生きているものを殺して食べている感覚を思い出させてくれます。海に潜って魚を見て思いを巡らせば、何気なく見ていた生き物たちが生き残りをかけて必死に生きていると再発見できるかもしれません。

念のために言っておきますが、不合理な活動をすればGDPが増えるとかそういう話ではありません。

バスで普段通っている道を1時間かけて歩くだけで色々気付くことがあります。
僕は大洗駅からアクアワールド大洗水族館まで徒歩で行ったことがあります。僕の散歩は100円分のGDPを日本の経済成長から差し引いてしまいましたが、僕が得た気付きの分、世界は少し豊かになりました。

 

 

合理性、つまりある目的のためにあえて不合理なことを選択する。
古臭い考え方かもしれませんが、僕はそれも大事なのではと思っています。

 

【参考文献】
池上彰『池上彰のやさしい経済学1しくみがわかる』 p201,202
マイケル・サンデル『それをお金で買いますか 市場主義の限界』 p142-144

 

【Writer Profile】
自称サメ社会学者Ricky

1992年東京都葛飾区生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2016年から現在の肩書を使って活動。社会人として普通に働きながら、
サメ関連イベント参加、水族館巡り、水族館ボランティアなどの活動を通して
サメについて学び、サメ、環境、水産、動物倫理などの分野で情報発信を行う。

Youtubeでの動画配信や、第3回ソーシャルドリームコンテスト、もうやん文京などプレゼンイベントで登壇。今後、書籍の出版など活動の幅を広げていく予定。

 

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