野生と飼育、どちらが幸せかはイルカが決めるのでは? しながわ水族館で考えたイルカ解放論への疑問

完全にブログでもYoutubeでも告知し忘れているのですが、実は今とある企画展で展示する水族館体験記的なものの作成に携わっています。その関係で先日しながわ水族館を訪れました。

水族館にあんまり詳しくない方のために一応解説すると、「品川にある水族館」と言う場合、品川駅が最寄りのアクアパーク品川(タッチパネルとかイルミネーションあり、子供・カップル向け)と大森海岸駅が最寄りのしながわ水族館の二つがあります。

しながわ水族館は京急油壺マリンパークのような「古き良き水族館」と言った感じで、こじんまりしていますがイルカショーもあり生き物の数も豊富で、結構お勧めの水族館です(年パスがないのが難点)。

さて、まずはしながわ水族館で会った生き物たちのご紹介。過去記事で一度紹介しているので今回はサラッといきます。

超小さいアリゲーターガー!これなら飼いたいかもと思わせるミニミニサイズです。

 

トラザメ!どこいでもいるのでお馴染みですが、やっぱり可愛いですね。
ビッグベリーシーシーホースというタツノオトシゴの水槽。多すぎな気がします・・・。

 

トンネル水槽のトラフザメ

 

ウミガメも泳いでいます。

 

シャークホールのシロワニ。相変わらずの迫力ですが、やや一匹が立ち泳ぎ気味で心配でした・・・。

さて、サメも楽しんだのですが、結構テンション上がったのがこれです。

アザラシのチ〇コ!!!(失敬)
人間なら公然わいせつ罪確定の光景です。

どうにか写真に収めたくて追いまわしていたのですが、アザラシって丸々とした体ののくせに泳ぐのが速くて、しかも息が長く続くもんだから水槽の底で賢者モードで5分くらい動かなくなったり、チ〇コ撮影するだけで一苦労でした。

漫喫で寝泊まりしてバレンタインデー直前に一人で水族館に行ってアザラシのイチモツを追い回す僕の気にもなって欲しい(もちろんアザラシ君の知ったところではない)。

 

さてさて、水族館の生き物の紹介はこの程度で。今回はイルカショー待ち時間で隣のカップルが話していたことについて考えてみます。

しながわ水族館は庶民的な水族館でアクアパーク品川より空いている印象だったのですが、三連休のためか僕が行ったときは激混み。写真より動画を撮りたいという事情もあり、イルカショーの待ち時間は広範囲をカバーできる後ろの立見席で待機していたのですが、隣の男女の会話が耳に入ります。

「ここでイルカたちも生まれてるのかな?」
「どっちが幸せなんだろうね、ここで生きるのと自然に帰るのって」

ざっくりまとめるとこんな内容です。話しかけようと思ったのですが、眠かったし止めておきました。

自然と飼育、どちらが幸せなのか?水族館はイルカたちを不幸にしてしまっているのだろうか。反捕鯨論者をはじめとするアンチ水族館の人々や逆にイルカ漁を擁護する人々の間でよく展開される議論です。

僕の結論としては、「それは彼ら自身が決めることでは?」と考えています。身もふたもない結論ですけどね。

多くのイルカ解放論者が「イルカは自然にいるのが本来の姿だ。閉じ込めてはいけない」という論を展開します。

確かに、イルカは海で産まれた生き物です。そこに間違いはない。しかし、彼らの幸せの定義は何でしょうか?「自然でのびのびと暮らすこと」という人がいますが、そうした人々は自然をロマンティサイズしすぎている気がします。

自然界では獲物が見つからず餓死してしまう可能性もあるし、捕食者に食べられる可能性もあります。水族館で芸を仕込むことを「奴隷のようだ」と表現する人がいますが、自然界での仲間同士のコミュニケーションや生きる術を学ぶ必要性があるはずです。さらにイルカに限って言えば、仲間殺しやレイプの事例が野生の観察で報告されています。決して自然は楽ではないのです。

水族館の飼育環境は確かに狭いしこれまで飼育の試みの中で多くの命が失われたことも事実です。しかし、搬入や飼育の技術向上により、それが改善されたこともまた事実。餌は定期的に供給されるし、捕食者が紛れ込む心配もない。水族館というシステムには自然とは異なるメリットがあるのは間違いありません。水族館では寿命が短くなるという主張もありますが、そもそも野生種の寿命は正確には分かりませんし、仮に正確に把握できたとしても、捕食者に襲われたりするなどの理由で若くして殺されるイルカ・クジラの頭数を考慮せずに比較するのはフェアではないでしょう(人間の平均寿命だって外的要因を考慮に入れて算出しているはずで、自然死すらもその国の医療によって左右されるのですから)。

これはちょっとした思い付きですが、イルカが本当に人間と同じように知能が高く感受性の高い生き物であれば、人間が仕事に楽しみや生きがいを見出すように、水族館のショーを楽しんでいる可能性も十分になるのではないでしょうか?「かつての見世物小屋のことを調べてみろ!」、「お前は『フリッパー』のイルカがどうなったのを知らないのか!?」と噴き上がるかもしれませんが、それは奴隷労働や超ブラック企業の事例であり、福利厚生のしっかりしたホワイト企業のような水族館であれば、人間がATP合成に何の役にも立たない労働を生きがいにして対価としてお金をもらうように、イルカが水族館労働を生きがいにして対価として魚をもらうことを受け入れていることも考えられます。飛躍しすぎですかね?

こういうことを言うと「イルカ自身が幸せと感じていればそれでいいのか?自分たちは幸せな環境にいると思わせておいて利用することは道徳的に許されるのか」という意見もあります。畜産などで展開される反論です。しかし、これは「本当は幸せな状態が別にある」という主張者の考えが正しいことを前提に主張がなされている点で、論証責任を果たしていません。

こういう「本当は理想の状態があるのに彼らはそれを知らず自分たちが幸せだと思い込んで利用されている」的な考えを僕は個人的にマトリックス電池理論と読んでいます(中二病で失礼)。映画『マトリックス』において、20世紀の都会で暮らしていると考えている人間たちは仮想現実を見ていて、実ははるか未来の世界にいる機械の電池として利用されている、という設定がモーフィアスによって語られます。確かにぞっとする話ですが、これは電池である人(マトリックスで言えばトーマス・A・アンダーソン君)、および映画視聴者が全体像を知って、それを不幸に思わなければそもそも成立しない話です。つまり、水族館残酷論は、イルカと直接コミュニケーションできすらしない自称「イルカの代弁者」たちが喚ていているだけで、(当たり前ですが)イルカたち自身の主張ではないわけです。だから何でもやっていいという話ではないですがね。

さて、僕はここまで書きましたが、水族館を全面的に肯定しているわけではありません。飼育方法に問題のある水族館からは動物は解放されるべきでは、という主張は成り立ちますし、水族館その他飼育施設のためにイルカ・クジラを捕りすぎてしまっては生態系に多大な悪影響が出る可能性もあります。動物倫理を超えて様々なイシューがあるわけです。

僕が現時点で言いたいのは、「個体レベルの動物の幸せは彼らが決めることであり、動物倫理や解放論を主張する人々は自分たちのこだわりや信念を述べているだけでこの世の真理を伝えているわけではない」ということです。だから無視していい、ではなく、冷静になって議論しましょうということ。そして主張する人々も、神の使徒を気取るような偉そうな態度はとらないでねってことです。

水族館も人間社会もある一定の目的のために利便性や安定性を高めた恣意的システムです。システムには問題もありますが利点もあります。動物は本当に幸せなのか、社会を良くするにはどうしたらいいか、色々考えるうえで何がメリット・デメリットなのか考えていきたいですね。

ちなみに、水族館でのショーが実際どんな感じなのか。普段見ない方は試しに見てみてください。興味がわいたらぜひ生で見に行ってくださいね。

 

 

【Writer Profile】
自称サメ社会学者Ricky

1992年東京都葛飾区生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2016年から現在の肩書を使って活動。社会人として普通に働きながら、
サメ関連イベント参加、水族館巡り、水族館ボランティアなどの活動を通して
サメについて学び、サメ、環境、水産、動物倫理などの分野で情報発信を行う。

Youtubeでの動画配信や、第3回ソーシャルドリームコンテスト、もうやん文京などプレゼンイベントで登壇。今後、書籍の出版など活動の幅を広げていく予定。

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「野生と飼育、どちらが幸せかはイルカが決めるのでは? しながわ水族館で考えたイルカ解放論への疑問」への1件のフィードバック

  1. 考察の一つとして 海と接している水族館ならばゲートを開けて戻っているか試せば一つの判断になるのでは?!

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