ネズミを殺した話

その日の夜、妙な物音で目が覚めた。一人暮らしのワンルーム。廊下と呼ぶには短い玄関からの通路から、ガタガタッと、小さいが確実に音が聞こえた。

手元にYouTube撮影用に買ったライトがあったので、ベッドから起き上がることなくそれを構える。廊下を照らすが、視界に動くものはない。頭をよぎったのはゴキブリのことだ。今年は一度しか侵入を許していないが、去年はかなりの数に居座られてひどい思いをした。家に帰りたくなくて外食が続き、起きるたびに小さく不快なものたちに悩まされた日々…。しかし、今年はやつらの侵入は阻止していたからすこぶる快適に過ごしていたし、考えてみればゴキブリがこんな分かりやすい音をたてるとは思えない。

このアパートでは妙な音は日常茶飯事だ。隣からのテレビの音。ドンドンという音。上の階から時々響く男女の痴話喧嘩のような声。廊下側の窓を開けて酒や煙草を片手に楽しむ留学生たちの談笑。建物自体から鳴る、オカルト好きなら喜びそうなもパキッなんて音も珍しくない。外から見た時に建物の壁に穴も開いていたから、壁の中を動物が動く可能性もある。だから、何度か明かりを照らして生き物の気配を確認できなかった時点で、僕は気にせず眠りにつくことにした。

翌朝、僕は何の違和感もなく目覚めた。久しぶりに1日予定のない日だったので、ベッドの中でグダグダしたあと、本を読んだりサメの頭骨製作をしようとぼんやり考えていた。

毛布を被りながらスマホをいじるというやる気のない学生のような姿勢で過ごしていると、頭の後ろでガサっと音がした。正確には頭側のベッドの下、ゴミなどを入れるためにとっておいたビニール袋の山からだ。「カーテンが揺れた拍子にビニール袋をかすって音が鳴ることは今まであったよな」と考えていると、ダメ押しにもう一度ガサッ。気のせいではない。何かが動いている。

僕はベッドのすぐ脇に常備していたゴキジェットプロを構えた。そして恐る恐るベッドの上から下の様子を窺った。ビニールに隠れて見えないが、何かが明らかに動いている。相手の姿は見えなかったが、招かれざる客であることは間違いない。ゴキブリへの恐怖が脳裏をよぎる。僕は動くビニールに向かってゴキジェットプロを噴射した。

すかさず“それ”は逃げた。黒い影。はっきりと認識できなかったが、ゴキブリだとしたら相当デカい。去年家に出たのは小さい奴らだったから、こんなのにいられたらたまったものではない!素早い動きと床に置いてあるもののせいで上手く見えなかったが、僕はゴキジェットで追撃した。

動きが遅くなってから“それ”の正体がわかった。小さなネズミだった。衝撃だった。まさかネズミに侵入されるとは。家の中どころかアパートの周りで見たことがなかった。

ネズミはまだ動いていたが、だいぶ弱っているようだった。僕は困惑した。ネズミが出たこと自体驚きだったが、次々に不安がよぎる。こいつはどこから侵入したんだ。流しか?トイレか?ドアポストか?また入られる可能性はあるか?待て、そもそもこのネズミをどう処理しよう。放っておけば死ぬだろうか。まだ生きているようだから外に放すべきか。いや、殺虫剤をかけたネズミだから、野鳥がもし食べれば生物濃縮を起こすか・・・。それよりも、衛生面が心配だ。こいつが家のどこを歩いたか分からない。どこの下水を通ったかわからないような風貌からして、驚き以外の良からぬものを部屋に持ち込んだ危険性がある。

とりあえずネズミを直接触らないようにベランダの植木の上に置き、室内衛生のために清掃を行った。

掃除がひと段落ついて植木を見ると、まだネズミはもがいていた。苦しんでいるようだった。ネズミの専門家ではないので憶測だったが、回復は見込めないように思えた。ここにきて、「かわいそう」と思い始めた。確かに衛生管理を考えたら家から排除することは必要だったが、殺す必要はなかった。捕獲して外に逃がすこともできたはずだ。もちろん、「何かがいる」と気づいたときはネズミだと知らなかったが、正体を確かめずに殺虫剤を大量に吹きかける自分もどうなんだと思った。

しかし、そこまで考えて思う。待てよ、今まで沢山のゴキブリやハエを殺してきた。このネズミも家への侵入者であり、衛生的観点で言えばゴキブリより遥かに恐ろしい。なぜゴキブリ殺しはよくてネズミはダメなのか。同じ駆除対象ではないか。ネズミは苦しむからか。しかし、ゴキブリが苦しんでいないとどうして言い切れる。ここでネズミだけ特別扱いしたらネコ狂信の愛誤たちやイルカ教信者たちと同列ではないか・・・。そもそも思い出せ、毎日食べている肉のことを。それが死体の切れ端だと一番自覚しているはずだ。その気づきをもとにお前は情報発信をしているはずだ。頭の悪い中途半端な動物愛護を批判してきたはずだ。爬虫類の餌である冷凍マウスには何も感じなかったじゃないか。そのネズミとお前の胃の中で溶けた肉の何が違うのか論理的に述べてみよ。

頭の中がグルグルする間にも、ネズミはゆっくりともがいている。ネズミの目を見て一瞬何かを訴えかけているように感じて、すぐにそれは幻想だと気づいた。突然毒物を吹きかけられたネズミが、その犯人の正体に気づいているのか疑問だし、苦しむ中で僕の存在を認知出来ているかもわからない。こちらがネズミに同情したとしても、ネズミが自分を意思疎通可能な対象と見なしているとは限らない。あの状況では、何が起こったのか分からず、ホモ・サピエンスという巨大生物が兵器を使って攻撃してきたこと自体認識していないかもしれない。冷静に考えろ。動物と話せる女の茶番劇に涙するような連中と同じ思考回路をもつことなど断じてあってはならない。

しかし、やはり哀れに思えてくる。せめて楽にしてやろうと思った。殺すこと自体は仕方ないとして、あまりにもがく時間が長い。ここまで苦しめるのは酷だ。しかし、うまくやれるだろうか。中途半端に傷つければかえって苦しませることになる。一撃で首を落とすか。しかし、不衛生なネズミの切断に使える刃物は、サメの除肉に使っているカッターだけ(料理に使う包丁は当然使いたくない)。小さいとはいえ、哺乳類の体をこんなものですぐに切断できるだろうか。ネズミの骨の硬さはいかほどか。喉からやるべきか後ろからやるべきか。ただ単に場を猟奇的にしてネズミを苦しめたらどうしよう・・・。

悩むのが長すぎた。ネズミはもう動かなくなっていた。

特別罪悪感に苦しむことはなかった。自分の健康、住居の衛生状況を守るために他の生き物を殺すことは異常なことではない。ハエを殺す。ゴキブリを殺す。ノミやダニを殺す。みんなやっている。自然界の動物も寄生虫を他の動物に殺してもらっている。毎日動物の肉を食べ、動物の住処であるはず場所を切り開いてできたはずの住居に住んでおいて「動物を殺すなんて!」と喚くほど僕はアンポンタンではない。ただ、相手がネズミだからという理由で、自分がゴキブリやハエに対して抱かなかった考えが芽生えたのも事実だ。殺すことにためらいはなかったが、苦しませたことは後悔した。自分が日々食べている動物と、踏みつぶしている虫たちと何ら変わらないと頭では分かっていても、いざ目の前で苦しむ姿を見ると、どうしても違う風に考えてしまう。しかし、だからと言って菜食主義や愛誤のような考え方を支持するつもりはない。僕たちの生活は屍と苦しみの上に成り立っており、ベジタリアンになろうがネコを保護しようが都会に住んで食料(というなの衛生的な死肉)を他人に作ってもらおうが、それは絶対に避けられない。

そう、殺すことは良しとしても、必要以上に苦しめたことが問題なのではないだろうか。だとすれば、殺すことは是としても、いかに苦しみを減らすか考える動物倫理には、やはり価値があるのではないか。ネズミが完全に動かず物体と化したあとも、僕はそんなことを考えていた。

ちなみに当のネズミだが、迷った末、僕はアルコールに漬けて保存することにした。理由や手段はどうあれ、恐らく自分が直接殺害した最初の哺乳動物。自然や生き物との向き合い方を他の人より考えているつもりでも、結局「可愛い」だの「苦しんでいるように見える」などの感情論に引っ張られそうになる自分の弱さの象徴だ。標本に保存しておけば、自分の命が他の生き物の死によって支えられていることを、パック済の食材に囲まれた日々の生活でも、多少は意識できるかもしれない。

 

【Writer Profile】


自称サメ社会学者Ricky

1992年東京都葛飾区生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。アメリカ合衆国ポートランド州立大学へ留学。2016年から現在の肩書を使って活動。社会人として働きながら、サメや環境問題などについて情報発信を行なっている。水族館ボランティアとしても活動。主な発信分野はサメの生態、水産業、動物倫理、進化生物学など。

Youtubeでの動画配信や、第3回ソーシャルドリームコンテスト、もうやん文京などプレゼン・レクチャーイベントで登壇。今後、書籍の出版など活動の幅を広げていく予定。

 

 

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