あの日出会った蛾の名前を僕はまだ知らない

先日僕が住んでいるアパートの廊下で蛾を見つけた。

僕は動物が好きだけど、昆虫はあまり詳しくない(世の中には昆虫を動物と考えない信じられない人々がいるらしいが、勿論昆虫は動物だ)。

だけど、妙にこの子が気になった。

僕はこの蛾の名前を知らない。しかし、この子が葉や落ち葉に擬態するためにこんな模様をしているのだろうと考えることはできる。

僕はこの蛾の名前を知らない。しかし、この姿が進化という、大昔のフィクションに描かれた全知全能とかいう神よりも遥かにリアリスティックで洗練された、ある種の神によって作られてきたのだと思いを馳せることができる。

僕はこの蛾の名前を知らない。しかし、何故この子が自分の体色が目立ってしまう白い壁にとまっているのか疑問に思うことはできる。

僕はこの蛾の名前を知らない。しかし、たぶんこの子が白い壁にとまっているのは雨が降っているからだと考えることができる。白い壁で目立ってしまうことより、自分の体が濡れてしまうことの方が危険だから屋根のあるここにたどり着いたのではないかと。

僕はこの蛾の名前を知らない。しかし、もしかしたらこの子がここにたどり着いたのは正の走光性のせいだったのかもしれないと考えを改めることができる。

 

さて、僕は一匹の名も知らない蛾を見ることでいくつかの気づきや疑問を得ることができた。蛾の模様は擬態のためであろうこと、それは進化によって起きたのだということ、その進化で得られた擬態が役に立たない場所に現れたのかという疑問。

ここから疑問はさらに広がる。この蛾が飛べるようになるまで、この蛾がここまで葉の色に似るまで、彼らの前の世代の虫たちはどのような見た目だったのか。どのような自然淘汰が働いて今の姿になったのか。この子が白い壁にとまったのが雨のせいなら、なぜ進化の過程で彼らは雨に適応しなかったのか。光の走光性なら、彼らが人間の明かりにあふれる世界に適応するのはいつになるのだろうか・・・。

 

僕は虫のエキスパートでもないし、きちんとした生物学者ですらない。僕が抱いた疑問や感想の一部は専門家が読めば陳腐で的外れかもしれない。

しかし、ほんの少し生き物に関心があるだけで、ほんの少し知識があるだけで、名も知らない蛾が様々な興味につながる扉になる。多くの人が同じ蛾を見たら「気持ち悪い」と思ってそこで思考を止めてしまうだろう。はっきり言って、それは不幸なことだと思う。

世界は生物であふれているのだから、自分自身も生物なのだから、ほかの生物にもう少し関心を持ってもいいのではないだろうか。

僕はサメが好きなのでそのきっかけにぜひとも海を推したい。あるいは水族館を推したい。鮮魚店でもいいだろう。

しかし、それすらおっくうというなら、家の周りを少し見まわしてみるといい。

この地球で最も繁栄している多細胞生物を、嫌悪ではなく興味の対象としてみれば、世界はもっと面白くなるかもしれない。  

【Writer Profile】

サメ社会学者Ricky

1992年東京都葛飾区生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。アメリカ合衆国ポートランド州立大学へ留学。2016年から現在の肩書を使って活動。社会人として働きながら、サメや環境問題などについて情報発信を行なっている。水族館ボランティアとしても活動。主な発信分野はサメの生態、水産業、動物倫理、進化生物学など。

Youtubeでの動画配信や、第3回ソーシャルドリームコンテスト、もうやん文京などプレゼン・レクチャーイベントで登壇。今後、書籍の出版など活動の幅を広げていく予定。

メールでのお問い合わせ、質問などはコチラ! shark.sociology.ricky@gmail.com

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