サメを守るためにサメを殺す?

先日興味深い記事を見つけた。

記事の題名は“To Save Endangered Sharks, You Sometimes Need to Kill a Few.” 簡単に訳せば、「絶滅危惧種のサメを救うためには、時に彼らを少し殺さねばならない」といったところ。

原文が読める方はコチラ参照↓

「サメが好き」と言って僕の活動内容を説明すると、「好きなのに食べるの?」とか「好きな動物を解剖するの?」とか聞かれることがある。この記事の内容は、「好き」や「守りたい」が必ずしも命を奪わないことではないと教えてくれると思うので、記事に沿って僕なりに語っていく。

目次:
【サメは絶滅危惧種?】
【守るために殺す】
【調査なしで保護はできる?】
【個体ベースより種ベース】

【サメは絶滅危惧種?】
絶滅危惧種と聞くとWWFのロゴに使われているジャイアントパンダや象牙取引などで話題に上がるアフリカゾウが思い浮かぶかもしれない。魚好きの中は、ニホンウナギの件で周りの理解が得られないことに憤りを感じている人も多いだろう。前に僕も少し辛口な記事を書いた。

ではサメはどうなのか。500種類を超える多種多様な仲間がいるので一括りにはできないが、サメは多くが絶滅の危機にあるとされている。以前YouTube動画でも紹介したが、有名なサメの多くがワシントン条約で取引が制限され、IUCNでも深刻な評価を受けている。

こうした事情に加え、フィニング(フカヒレ用にサメの鰭だけを切り落としサメの体を海に捨てる)の残酷なイメージやダイバーのサメ人気も相まって、海外にはサメを殺すことについてかなり反発する保護活動家も存在する。イルカやクジラが受けているような扱いをサメも一部では受けているわけだ。

 

【守るために殺す】
しかし記事によれば、効果的にサメの個体数を把握し保護するために必要な科学的データを集めるためにはリーサルサンプリング、つまり殺しを伴う標本収集が求められる。

サメを守るためには、例えば以下のような生態を知る必要がある。

・そのサメはどれくらい生きるのか
・子供はどのくらい産むのか
・成熟するには何年かかるか

これらのデータがなければどれくらい漁獲していいのか、数が減った場合どれくらい禁漁を設けるべきかなど判断基準を効果的に設定することはできない。そして、こうしたデータを得るためにサメを捕獲、解剖する必要が時に出てくる。

また、体重における鰭の割合はどれくらいかも重要だという。フィニングを防止するために、漁船が持ち帰ったサメの重量と鰭の割合があっているのか、サメの体だけ捨てていないか確認する基準として使えるからだ。

ノンリーサルな手段も開発されていてそれは重要なことだが、広く用いられるにはまだかなり時間がかかりそうだ。記事内では触れられていないが、ノンリーサルな研究手法として注目されているのはバイオロギングだろう。バイオロギングとは小型の記録計や発信機を動物に取り付けて彼らの行動を記録する手法で、サメについて言えば、渡辺佑基さんがホホジロザメやニシオンデンザメで非常に興味深い研究成果を発表されている。

詳しくはコチラの著書を是非↓

バイオロギングを用いることでダイバーが観察しきれないところでサメたちが何をしているのか、これまでのタグや漁獲サンプリングでは分からない行動も明らかになるし、自動で切り離される記録計はサメを傷つけることもない。こうした研究手法が今後重要になってくることは間違いないが、現状だと記録計も高価で記録時間なども限られているのが現状だ。

もちろん研究の名のもとに大量に漁獲して絶滅させてしまったら本末転倒もいいところだが、サメは定置網や延縄などで混獲されることがあるので、そうしたサメから科学的データを集めるのは有益になり得る。今回の記事によれば、米国ではヤジブカ(Carcharhinus plumbeus)などのサメを対象に、漁師と研究者が協力してサンプリングやデータ収集を行っているそうだ。

 

【調査なしで保護はできる?】
こうした話を聞いた保護活動家の中には「そもそもサメを獲らなければいい。サメを一切殺さなければ絶滅しない」と言う人もいるかもしれない。そんな無茶なと思うかもしれないが、漁獲活動そのものを悪とみなす宗教チックな言論はネットなどで見受けられる。

しかし、調査なしで漁獲もせず、直接的な関りを絶てばサメを守れるのか。僕は非常に懐疑的である。人間社会が自然に与える影響は非常に複雑だからだ。

人間が海洋環境に与える影響は漁獲だけではない。地球温暖化やマイクロプラスチックなど、海への直接的な関りを絶っても起きてしまう問題は多くある。

これは人間社会が自然から切り離された別領域ではなく、自然環境の中にある人間という生物の縄張りでしかないために不可避な現象である。ビーバーのダムがビーバーの行動範囲以外にも影響を及ぼすのと同様に、人間の活動も縄張り内では完結しないのだ。しかも、僕たち自身は生物学的にはただのサルだが、扱うもののエネルギーが尋常ではないため、影響も大きくなる。

環境保全を蔑ろにする人は環境を人間社会とは離れた別世界のように考え、環境保護の過激派も自然を人間社会から離せば環境を守れると思っている。相対して見える両陣営はどちらも本質を見誤っている。自然と人間社会は離して考えるのは不可能なのだ。

ではどうすべきか。僕たちにできるのは、以下のことを常に考えて実行することだ。

・現状どのようなかかわり方をしているか
・それはどういう結末を生むだろうか
・改善するために何ができるか

そして「現状どのようなかかわり方をしているか」を知るために現状最も優れている方法は科学を用いた研究なのは言うまでもない。そして科学は証拠を求める。証拠としてサメのサンプリングが必要ならば、やり方や量を変えるにしても継続すべきである。

 

【個体ベースより種ベース】
壮大な話になってきたのでサメの保護の話に抽象度を下げよう。

サメにかかわらず動物の保護活動家には「とにかく殺すのは反対!」という人が良くいる。日本でサメをはじめとする魚類が論争になることは少ないが、狩猟の写真をアップした議員が炎上したり、イノシシ駆除に物申した某芸能人が反論側を「私のアンチ」などと言う愚昧ぶりを発揮するなど、哺乳類では具体例に事欠かない。

私も以前記事にしたことがある↓

もちろん殺しの中には悪質なものがあると僕は思う。悪戯で生き物を苦しめて殺したり、絶滅危惧種を私欲のために捕獲する人間を許容するつもりはない。しかし、僕たちは従属栄養生物である以上、他の生物の命を奪う必要がある。安全に子孫を残したり、あるいはそれ以上の快感や安心のために動物を利用し、彼らの生息域を奪う場面がどうしても出てくる。

哺乳類、魚類に関わらず、過激な保護活動家はこうした事実を認識できていない気がする。自分で生き物を殺す経験をせず、それどころか元の形が分からないようになった食品を食べているので、自分たちがただ影響力がデカいだけのサルであることを忘れているのではないだろうか。

生き物が生き物を殺し、そして物質とエネルギーが循環する。互いに影響を与え合う。それは自然なことだ。だから、僕は個体ベースで死を嘆くこともあるが、なるべく種ベースで考えるようにしている。

個々の生物が死んだり自分が時に手を下すのは仕方がない。しかし、種が滅び生物多様性が失われれば僕たちの生活基盤である自然に重大な変化が起きる危険性がある。SF映画を見るまでもなく神秘に満ちた生物たちが、この星から永遠に失われるかもしれない。それはまずい。少なくとも僕は嫌だ。

だから時に影響を与えつつも、やりすぎないように守っていくにはどうしたらいいか考えて行動していく。

生き物の命を時に奪いつつも守りたいと切に願う構えは、決して矛盾したものではないはずだ。

 

 

【Writer Profile】

サメ社会学者Ricky

1992年東京都葛飾区生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。アメリカ合衆国ポートランド州立大学へ留学。

社会人として働きながら、サメの生態や環境問題などについて情報発信。主な発信分野はサメの生態、水産業、動物倫理、進化生物学など。

本HP『World of Sharks』での運営のほか、Youtube動画配信、トーク・プレゼンイベント登壇、水族館ボランティアなどで活動。

メールでのお問い合わせ、質問などはコチラ!
shark.sociology.ricky@gmail.com

 

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